受験シーズンですね。
 私は、高校受験、大学受験、司法試験受験と、思えば10年以上受験勉強をしてきました。その勉強の中身は、高校受験では、大別すれば、読み書き、読解、知識(暗記)の問題、大学受験でもほぼ同様、司法試験受験では、法律問題に対する考え方が出題されましたが、相当程度の知識が前提とされていました。ある意味、皆同じ問題を出され、同じ回答(正解)が求められていました。
 当時の教育の大部分は、日本が経済成長をしていく過程で必要だった事務処理能力(一定の時間内に、できるだけ正確に、与えられた問題(仕事)をこなせるか)が試されていたのだと思います。
 私が弁護士になった平成8年ころは、ウィンドウズが出てはいましたが、まだパソコンは完全には普及しておらず、私自身はワープロを使っていました。まだ、手書きで裁判所に書面を提出する弁護士もいました。その後パソコンで文書を作成するのは当たり前になり、インターネットで調べものをするようになり、現在では、生成AIが出現して、AIエージェントが、さも人間であるかのような仕事をするようになっています。
 裁判もIT化(もはや死語になっている?)が進み、WEB上で、期日が開かれるようになり、今年5月には、弁護士は訴えの提起から、すべてWEB上で行うことが義務化されることになりました。
 このように、世の中が大きく変わっていることからすると、これまで求められてきた事務処理能力を問う試験というのは意味がないような気がしております。事務処理は生成AIが圧倒的に優れているように思います。もちろん、現時点では、AIがもっともらしいが間違った回答をするというハルシネーションの問題はあっても、いずれ解消されるでしょう。
 そうすると、事務処理能力ではない別の資質を育てる教育が必要になるのではないでしょうか。AIは、過去に存在した事実やデータを分析して答えを出すことは得意だと思います。「温暖化を防止するためにどうしたらいいか」という問いに対して、「温暖化を進めているのは人間であるから、人間がいなくなれば温暖化はなくなる。したがって人類滅亡がその答えです」など・・・となりかねないと言われています。
 しかし人間は、自分たちが生存していくために、その解決策を考えなければなりません。やはり、過去から学びつつも、それにとどまらず、想像力を働かせて、新しいものやシステムなどを創造する必要がある。そうすると、学校でも、課題を出し、それをみんなで考えて解決するというような授業が適しているような気がします。人間どうしがいろいろ話をして、多様な考え方を柔軟に受け入れ、そこから新たなことを創造する。そのために考える力を鍛えることが必要なのではないかと思う今日この頃です。

弁護士 渡邊真也