入社式のニュースを目にする時期になりました。

 私は、卒業予定の専門学校の学生に対し、社会人になるにあたっての心構えに関する講演をすることがあります。その際に、私が、弁護士になった当初から心掛けていることをお話ししています。そのうちの一つが、「慣れていることを自覚する」ということです。

 弁護士に依頼される方は、生活に窮し借金を返済することができず破産せざるを得ない方、婚姻生活の継続が困難となり離婚を選択せざるを得ない方、交通事故等により重大な傷害を負い日常生活に多大な不便を生じ相手方に損害賠償請求をしたい方等、人生の一大事を迎えている方が多いです。
 依頼者にとっては、初めての経験で、落ち着かず日常生活もままならない方もいらっしゃいます。
 率直に言いますと、私にとっては代理人として何回も経験していることで、驚きはほとんどありません。これが「慣れている」ということです。
 「慣れている」ことにより、法律の専門家として冷静に相談内容を分析し、代理人としての活動をすることができるので、その点ではメリットがあると考えます。
 しかし、ただ「慣れている」だけでは、次第に依頼者との間で、認識や事案に対する感じ方のギャップが大きくなりすぎ、依頼者に共感することができなくなったり、依頼者の感情に寄り添った解決が困難となったりします。

 そこで必要となるのが「慣れていること」を「自覚する」ということだと思います。

 自分は代理人としての経験があるだけで、依頼者にとっては一大事なのだと意識的に自覚するようにしています。これにより、弁護士でない依頼者との感覚のズレが大きくなることを防止するように努めています。もしかしたらこれは、他の職業でも共通する部分があるかもしれません。例えば医師や銀行員やハウスメーカー等では、これらの職業以外の人たちからすると特別なことでも、日々の業務で慣れてしまっていることがあるのかもしれません。

 有名人の不貞のニュースに対するコメントに触れると、不貞された人側(いわゆる被害者側)に立つコメントが多いことに違和感を覚えることがあります。なぜ自分が不貞をされたわけでもないのに、不貞をされた人側の意見ばかり述べるのかなぁと。不貞をした側(いわゆる加害者側)にもこれまでの人生があり、不貞にいたる事情があり、今後の人生があるのになぁ、、、と思うことがあります。

 これも、弁護士として不貞をした側からの依頼を受けたり、より被害者・加害者性が明白な刑事事件で被疑者・被告人の弁護を担ったりしていることからくる「慣れ」なのかもしれません。
 現在、弁護士9年目に差し掛かりました。こういった、ニュースに対する感じ方といった点でも、弁護士以外の人たちの感覚とのギャップが開きすぎないように、今後もより意識的に「慣れていることを自覚」したいと思います。

 令和7年4月4日
 弁護士 伊藤龍太