もう10年が経ってしまったというのが率直な思いです。
日本中が原子力発電所事故は起きないという思い込みをしていました。
でも東京電力福島第一原子力発電所事故は起きてしまいました。
福島県の人たちは、事故後、放射性物質とはどのようなもので、生活の中でどうしたらいいのかを考えて生きてきました。事故直後には、なるべく外に出ない、マスクをする、放射線量が多くなる食べ物はとらないなど。放射性物質という未知のものを知るにつれ、対応方法もわかり、福島県民は次第に落ち着いて生活ができるようになったのだと思います。しかし他方で、原発事故そのものではなく、福島県に居住する人たちあるいは福島県から避難した人たちに心ない言葉を投げるということが発生しました。すでに原発事故で生活に様々な支障をきたしている人に対して、偏見や差別によって、さらに精神的に追い詰めるような行為が行われました。
それから10年が経過して、新型コロナウイルス感染症をきっかけとして、同じような偏見・差別があるようです。私が耳にしたのは、クラスターが発生した施設の方々に対する誹謗中傷です。病院や介護施設等では、面会を制限し、不要な接触を可能な限り減らそうとしています。しかし細心の注意を払ってもウイルスは入り込んでしまうことはあります。
福島県では原子力発電所事故の経験をしているから他人には寛容なのではないかと思っていましたが、残念です。このような他人に対する攻撃は、原発事故では放射性物質、今回は、新型コロナウイルスというこれまで体験していないものや状況に対する恐怖から生まれてしまうように思います。
人間は、社会内にある危険(リスク)を恐れながら共存するほかないと考えています。感染症を完全に避けるためには他者との接触を一切立つことでしょう。しかし、人間は一人では生きていけません。人類はこれまでも様々な感染症の危険にさらされ、その克服のため様々な研究が行われてきました。しかし、これほど科学が発展している21世紀でもパンデミックは起きてしまいました。そうだとすると、感染症は完全に回避することは極めて困難で一定の割合で発生するものだと思うしかないのではないでしょうか。
だとすれば、その危険が現実化してしまったときには、恐れながらも、それに冷静に対応することが必要です。感情的になって他人を排斥することでは何の解決にもなりません。周りの人が感染したことが分かったら、「大変ですね。あなたが元気になって元通りの生活に戻られることを心から願っています」と伝えたいと思います。
新型コロナウイルス感染症は社会がリスクを受け入れた上で、人間が寛容でいられるのかを問うているような気がします。10年後には今よりずっと寛容な社会になっていることを願います。自戒を込めて…。
弁護士 渡邊真也