毒舌の人が、実は優しい心の持ち主であることに気付くことはないでしょうか。
あるいは、いつもニコニコしている人が、実はすごく短気な人であること、大きな声でお話になる方が実はとても繊細な方であること、などなど。
見た目のとおりの方ももちろんいらっしゃいますが、私は最初の印象と実際お話ししてみた印象が違う方に興味を惹かれます。
当事務所の相談室に飾らせていただいている絵の作者もそのような方でした。
その方は私が尊敬する大先輩の弁護士です。
最初にお会いした時には、弁護士としての心構えについて厳しく教えていただいたこと、政治の状況や最近の出来事について辛口の批評もなさり、様々な矛盾を抱える世の中を憂いておられました。印象としては、端的に申し上げれば、「怖い大先輩」でした。
その方の絵に最初に接したのはもう20年以上も前です。
優しい、本当に優しい絵です。その時代、季節、空気、温度、風までそっくりその空間に運んでくれるような絵でした。
親しくさせていただいていて、あるとき、先生から、「渡邊君、(絵)好きなの持って行っていいよ」と言われ、大喜びで先生のアトリエにもお邪魔して、遠慮せず、何枚かの絵をいただきました。
これからの季節に事務所に飾る絵は、私が大好きな、夏の踏切の絵です。
最初に先生の踏切の絵を見たとき、私が少し遠出をしたときに時折通る踏切だと直感的に分かりました。その場所は、典型的な田舎の踏切で、懐かしい感じがする、日常と非日常、あるいは喧騒と静寂の境に思えるような、何とも言えず雰囲気のある好きなところだったのです。その絵を見たとき、先生に、「これは〇〇の踏切ですね!」と言うと、「そうか、分かるか。」と嬉しそうに言っておられました。以前から私が何となく気に入っていた場所を先生が切り取って絵にしておられたことに不思議な縁を感じました。
弁護士としての仕事にはとても厳しい方でしたが、それは弁護士の仕事が困っている人のためにあるのだから、その人のため、ひいては社会正義のために、自らを律して仕事をなさい、ということでした。人にはとても優しい方でした。だからこそ、絵の話をするときにはお描きになる絵と同じような優しい、本当に優しい目をなさっていたのだと思います。もしかしたら、件の踏切は、先生が仕事と絵を行き来する場所だったのかもしれません。
もうあの優しい目で絵の話をなさる先生にはお会いできませんが、先生、今年もまた、踏切の絵を相談室に飾ります。
弁護士 渡 邊 真 也