
「女性に年齢を聞くのは失礼」という価値観を耳にしたことはありませんか。昔は当たり前のように耳にしてきましたし、今でもたまに耳にします。
しかし、人間、平等に年を重ねるのに、なぜ「女性」に年齢を聞くことが失礼になるのか、あまり腑に落ちていませんでした。
先日、男女共同参画に関するシンポジウムに参加した際、女性の登壇者に、「女性に年齢を聞くことが失礼だと思いますか」と質問してみました。
Aさんは、「年齢を聞かれると、この人は年齢で人を評価する人ではないかと感じます」と不快感を示していました。Bさんは、「海外では、ある程度年齢を重ねている方が信頼されることもあり、私は特に隠さず言います」と回答しました。
回答としては、年齢を回答することに拒否感を感じるものと、感じないものとで異なる結果となりました。おそらくですが、Aさんは、世代や地域性などから、女性が年齢を重ねることについて否定的な価値観に曝されることが多かったのではないかと思います。反対に、Bさんは、海外にいた期間があったとのことで、女性が年齢を重ねることについて肯定的な価値観に触れる機会が多かったのかもしれません。
「女性に年齢を聞くのは失礼」という価値観は、そもそも女性が年齢を評価されることに不快感を示したことから生まれた価値観ではないでしょうか。そうすると、「女性に年齢を聞くのは失礼」の価値観の核心は、「女性を年齢で評価することは失礼」ということではないでしょうか。
女性に限らず、人の年齢自体について、若いから良くて、年を重ねているから悪いと評価すること、またその逆に評価することについて、なんら合理性があるとは思えません。しかしそんな不合理な価値観に曝されてきた人が、年齢を聞かれることを失礼と感じるのは当然とも言えます。
私は、仲良くなりたい人には年齢を聞きたくなります。その人の経験と結び付けて、この年の時にこういう経験をしているのかと共感したり、興味がありそうな話題を見つける手がかりにしたいと考えるからです。その人をもっと知りたいと考えたら、当然、その人の年齢も知りたくなります。もちろん慎重に聞くようにしますが、年齢はその人が生きてきた年数で、その人を構成する大切な要素じゃないでしょうか。環境や社会が原因で、そんな大切な構成要素を他人に明かしたくないなんて、なんか寂しいですよね。
「女性に年齢を聞くのは失礼」という価値観は、少しずつ耳にする頻度は減っているように感じ、少しずつ、女性を年齢で評価することが減ってきているのではないかと思います。
このまま、みんなが自分の年齢について、他人からの評価を気にしなくていい社会になって、「女性に年齢を聞くのは失礼」という価値観が完全に過去のものとなるといいなと思います。
令和7年12月5日
弁護士 伊 藤 龍 太
