
AIは、日常生活や仕事上で、大変心強い武器になるものと考えていますが、今回のテーマではもう少し消極的な意味で、あくまでも武器に過ぎないという意味で使っています。
私は、テレビゲームでRPG(ドラ〇エ等)を遊ぶことがありますが、その中で敵モンスターに与えるダメージの量は、味方キャラクターの能力値に武器の能力値を加えた合計値で決まります。とても優秀な武器を装備すれば、能力値が低いキャラクターでも強いモンスターを倒すことはできます。
先日、新聞記事で、理系の大学に通う学生が課題のレポート作成をAIに丸投げし、その成果物を提出しているというものを目にしました。AIを利用した方が、時短となり、評価もいいそうです。また周囲の学生もAIを利用して課題に取り組んでいるため、AIを利用しないと相対的に評価が下がってしまう、とのことでした。特に、理系の大学では、希望する研究室に入るためであったり、大学院に進学するためであったりという理由で、文系よりも在学中の評価が必要となることが多いそうです。そのため、AI利用について、大学において学生間の公平を図るための対応が求められることは言うまでもありません。
そのうえで、私は、この記事に接し、とても悲しい気持ちになってしまいました。なかなか社会人になると、勉強に集中できる時間を作ることが困難になる中で、あれだけ勉強をできる時間があった大学時代はなんと幸せだったのだろうと思います。そんな貴重な時間をAIの使い方が上手くなる時間に使うことは、なんてもったいないことかと思ってしまいます。
やはりAIは武器に過ぎず、これを利用することにより利用者の能力以上の成果を発揮することが可能になります。しかし、利用方法にもよりますが、基本的には利用者の能力は向上しません。
私の中学生のときのマラソン大会の話になります。私は限界まで頑張って走るのは辛いので避けたいと思いましたが、学年で1位になりたいとも思っていました。そこで、7割、8割くらいで走っても1位になれるくらいの実力をつければいいと考え、日々、走り込みを行うようになりました。RPGで例えるなら、めちゃくちゃレベル上げをして、味方キャラクターを強くしてから、ボスモンスターに挑んで、楽に勝つイメージです。自分の能力が高くなれば、辛いことも辛くなくなるのではないかと考えました。
結果は、学年で3位が最高でしたし、結局、本番では限界近くまで必死になって走っていました。ゲームのようにうまくは行かないのが人生ですね。しかし、学年で3位にはなれました。私は、特別秀でた才能がなく、何かで1位になった記憶もない、いたって普通の凡人ですが、司法試験に合格し、現在も弁護士業をそれなりに継続できているのは、課題に直面した際に自分のレベルを上げてボスモンスターに挑むがごときのマインドで能力向上を図ってきたからではないかと考えています。
人間の限界を超えた成果をあげるためには、AIを利用しなければならないことはあるでしょう。しかし、なんでもかんでもAIを利用していたら、論理力も、分析力も思考力も想像力もなにも向上しないまま、AIが利用できない環境下では何もできない人間になってしまいます。
AIが進化している現代でも、自分自身の能力を向上させる努力の重要性は変わらないことを考えさせられた記事でした(とはいっても私自身、もう少し武器としてのAI利用を今後は増やしていかないと時代に取り残されるなとは思っています)。
令和8年8月5日
弁護士 伊 藤 龍 太